大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所 平成元年(ワ)60号 判決 1991年2月18日

原告

伏見勝國

右訴訟代理人弁護士

水谷博昭

被告

滋賀県

右代表者知事

稲葉稔

右訴訟代理人弁護士

小澤義彦

右指定代理人

平尾武詩

外四名

主文

一  被告は、原告に対し、金三五万円及びこれに対する昭和六二年五月一六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一五〇万円及びこれに対する昭和六二年五月一六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、肩書住所地において、土木建築等を業としているものである。

2  事案の経過

(一) 原告は、昭和六二年五月一六日午前一〇時三〇分ころ、作業現場に赴くため自宅を出て、自宅から約八〇メートル離れた東海荘前路上に至ったところ、私服の滋賀県警察米原警察署所属の甲野一郎警部補(以下「甲野」という。)外二名の警察官に、「橋本。」と呼び止められた。

(二) 原告は、これに対して、自己に対する呼びかけとは思わず、東から西へ通り過ぎようとしたところ、再度甲野から「橋本か。」と声を掛けられ、同時に右上腕をつかまれた。

原告は、自分は伏見であると名乗り、今から仕事に行くところであること、橋本は東海荘の住民かもしれないからそちらで尋ねてほしい、等と述べたが、甲野らは原告の弁明を聞き入れず、二人の警察官が原告の左右上腕を取って、身体の自由を拘束した。

(三) まもなく、甲野らは、原告に対し、自動車に乗れと要求したが、原告は、甲野らの言動から彼らが暴力団員であって、このままではいずれかへ拉致されるものと判断し、これに抵抗すべく、両腕を取っている警察官を引きずるようにして、道路北方のさわたり歯科医院の植木の前まで至り、両手で植木をつかんで車内へ引き込まれるのを防ごうとした。

(四) 甲野らは、原告を捜査車両の内部へ引致しようとして、右車両(白色のレンタカー)を原告の体から一メートル内外の至近距離に停車させ、左側後部座席のドアを開き、同所から原告を車に押し込むべく、四人の警察官が原告の両腕等を引っ張った。その際、一名の警察官が原告の大腿部を蹴り上げたため、原告はこれを避けようと前記歯科医院の花壇のブロックの上に乗って、両手両足で植木を抱え込んだ。

(五) 原告は、知人の佐々木歳丸(以下「佐々木」という。)が前記歯科医院駐車場においてこちらを見ているのに気付き、左手に持っていたハンドバッグを同人に預かってもらおうと考え、これを投げたが、うまく投げることができず、約一メートルの地点に落としてしまった。

甲野は、このハンドバッグの中から原告の免許証を取り出し、原告が橋本ではないことを確認した。

(六) そのころ、原告の妻元子が各務原警察署に緊急通報したのを受けて、同署のパトロールカーが到着したため、甲野らは原告の身体の拘束を解いて、現場を離れた。

3  被告の責任

甲野らは、原告を窃盗犯橋本と誤認し、これを任意同行の名目で引致しようと考え、原告の身体を拘束し、暴行を加えたものであるが、甲野らは、原告に対する逮捕状を所持しておらず、また右の身体の拘束等は職務質問の段階で行われたものであるから、これはその許容限度を越えた違法な公権力の行使に当たるというべきである。

よって、被告は、国家賠償法一条一項に基づき、原告の被った損害を賠償する責任がある。

4  原告の損害

(一) 原告は、前記警察官らの暴行により、右肩関節周囲炎に罹患し、同日以降約一〇日間の通院加療及び全治まで約一か月間を要した。そして、右の傷害により、五日間程休業を余儀なくされた。

右の事情並びに本件の事案の経過を総合すると、原告が警察官らの行為によって被った精神的苦痛は、金銭に換算すると金一〇〇万円を下らない。

(二) 原告は、弁護士である原告訴訟代理人に本件訴訟の提起遂行を委任し、その報酬として金五〇万円を支払うことを約定した。右金額は、前記警察官らの不法行為と相当因果関係のある原告の損害というべきである。

5  よって、原告は、被告に対し、前記損害の合計金一五〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年五月一六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は不知。

2(一)  同2(事案の経過)(一)のうち、原告が作業現場に赴くために自宅を出たことは不知、甲野らが原告主張の日時・場所において原告に声を掛けたことは認める。ただし、当初は「橋本。」と呼んだわけではない。

(二)  同(二)のうち、甲野が原告に対し橋本か否かを問い掛けたこと、これに対して原告が伏見と名乗ったことは認め、原告の弁明の趣旨及び警察官らが原告の上腕を取るなどして身体の自由を拘束したことは否認する。

(三)  同(三)のうち、原告がさわたり歯科医院の植木の前まで至って植木をつかんだことは認め、その余の事実は否認する。

(四)  同(四)の事実は否認する。

(五)  同(五)のうち、原告が持っていたハンドバッグを投げたこと、甲野がこの中から原告の免許証を取り出して確認したことは認め、その余は否認する。

(六)  同(六)のうち、各務原警察署のパトロールカーが現場に到着したことは認め、原告の妻元子が緊急通報したことは不知、甲野がそれまで原告の身体を拘束していたことは否認する。

3  請求原因3のうち、甲野らが原告を窃盗犯橋本と誤認したこと、原告に対する逮捕状を所持していなかったことは認め、原告を任意同行の名目で引致しようとして、原告の身体を拘束し、暴行を加えたことは否認する。

その余の主張は争う。

4  請求原因4(原告の損害)(一)のうち、原告が通院加療を受けたことは不知、その余は争う。同(二)は争う。

三  被告の主張

1  甲野は滋賀県米原警察署刑事係長警部補、乙川二郎(以下「乙川」という。)及び丙沢三郎(以下「丙沢」という。)はいずれも同署巡査、丁海四郎(以下「丁海」という。)は滋賀県警察本部刑事部捜査第一課の巡査であったものである。

右四名は、いずれも橋本太郎(当五一年。以下「橋本」という。)に対する窃盗等被疑事件の捜査に従事していたものであり、同人に対する逮捕状を執行するため、昭和六二年五月一六日午前八時ころから、同人の居宅である岐阜県各務原市<住所略>東海荘付近で張り込みを開始した。

当時、丙沢は、本件の一〇日前に橋本を職務質問したため同人と面識があったが、その余の三名は面識がなく、橋本の人相・体格・特徴等については、昭和五九年当時に撮影した顔写真やその他の資料によって概略を知っているに過ぎなかった。

2  昭和六二年五月一六日午前一〇時三五分ころ、甲野、乙川及び丁海の三名は、橋本の居宅付近で張り込むため、東海荘前の道路に至ったところ、原告が徒歩で通りかかった。

原告の年格好・人相・額のはげ上がり・顎の張り具合等の特徴が、橋本と酷似していたことから、甲野は、原告に対し、「瀬川(橋本の旧姓)さんか。」と問い掛け、次いで「橋本さんか。」と問い掛けるなどして、職務質問を開始した。

原告は、これに対して、「違う、伏見や。」と名乗ったようだが、その後丁海において警察手帳を呈示して警察官であることを明らかにし、甲野においても警察官であることを告げて住所等を質問したにもかかわらず、原告はこれに答えず、「警察が何や、滋賀県警なんか関係ないわ。」などと大声をあげて甲野の側を通り抜けようとしたので、甲野は原告の身体を手で押し止めたが、原告は傍らを通り抜けそのまま足早に立ち去ろうとした。

そこで、それまで傍らで原告の動静を監視していた乙川と丁海は、直ちに原告の後を追い、約五メートル西方の地点で原告の前に立ちはだかったので、原告は立ち止まった。甲野も原告に追いつき、原告の方に手を当てて制止し、「ちょっと話を聞かせてもらいたい。」と職務質問を継続しようとしたところ、原告は道路中央部にしゃがみこんで質問に応じず、甲野は、「こんなところでは危険だから。」と言いながら原告の腕を持って立ち上がるよう促した。

しかし、原告は自ら立ち上がり、約三メートル北方の道路端に逃げ、道路に接した植木(直径五センチメートル)をつかんで北向きに座り込むような格好で同所から離れようとしなかった。甲野は、原告の腕に手を添えて支えるようにして、約五〇メートル西方に駐車中の自動車(丙沢が乗車していた。)を指し、「あそこの車の近くまで行って話をしてもらいたい。あんたが橋本でなければ住所・氏名を教えてもらいたい。運転免許証等身分証明となるものを見せてくれてもよい。」などと述べて職務質問を続行したが、原告は一向に応じなかったので、甲野は、丁海に対して丙沢を現場に同行して原告が橋本と同一人物であるか否かを確認させるよう指示し、間もなく丙沢が現場に到着した。

原告は、携えていた運転免許証在中のバッグを植え込みの中に放り投げ、「そのなかに免許証が入っとるわ、見てみい。」と申し立てたので、甲野が「バッグを見てもよいですか。」と原告の同意を得てこれを確認し、丙沢も原告が橋本とは別人であることを確認した。

そのため、甲野らは職務質問を打ち切って、原告に対し、人違いをした旨を述べて説明した。

以上の職務質問開始から終了までに要した時間は約一〇分間であった。

3  甲野らにおいて、原告の腕等を引っ張ったり、足蹴にしたりする等の暴行を加えた事実は全くない。

甲野において、原告に対する質問を続行するため、原告の体を手で押し止めたり、しゃがみこんでいる原告の腕に手を当てて立ち上がらせようとした事実はあるが、これらは原告が警察官の職務質問に対して十分な答弁をせずその場を立ち去ろうとしたこと、及び道路上での質問は人集まりもあって原告に不利で交通の妨害にもなることから、やむなくとられた措置であり、いずれも警察官職務執行法に基づく職務質問のための停止行為ないし任意同行を求める行為として許容される範囲内のものであって、何ら違法ではない。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張中の事実のうち、原告主張の請求原因に反する部分は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は、<証拠>によって認めることができる。

二同2の各事実のうち、当事者間に争いのない事実は次のとおりである。

1  原告は、昭和六二年五月一六日午前一〇時三〇分ころ、岐阜県各務原市<住所略>東海荘前の路上を通り掛かったところ、甲野ら三名の警察官に声を掛けられた。

2  甲野は、原告に対し、「橋本か。」等と尋ねたが、原告はこれを否定した。

3  その後、原告は、さわたり歯科医院の植木の前まで移動し、植木をつかんだ。

4  原告は、持っていたハンドバッグを投げ、甲野がこの中から原告の運転免許証を取り出して確認した。

5  各務原警察署のパトロールカーが右の現場に到着した。

三更に、<証拠>を総合すると次の各事実を認めることができる。

1  橋本は、窃盗等の多数の前科を持つ者であったところ、昭和六二年五月六日に建造物侵入を企てたが、丙沢外一名の警察官に職務質問されて未遂に終わり、逃亡した。

右事実及びその余の被疑事実(窃盗)に基づき、同月一四日に橋本に対して逮捕状が発せられ、右逮捕状執行のため、甲野、乙川、丙沢、丁海及び滋賀県警本部の巡査部長田中五郎の五名は、同月一六日、橋本の居宅である東海荘に赴いた。

右五名のうち丙沢については前記の経過から橋本と面識があったが、その余の者は橋本を直接見たことはなく、昭和五九年当時の写真、似顔絵、その他体格等の情報を知っているのみであった。

2  甲野らは、捜査用車両及びレンタカー(白色)の二台に分乗して赴き、同日午前八時ころ東海荘付近に到着し、そのまま路上で張り込みをしていた。橋本に対する逮捕状は、リーダー格の甲野が所持していた。

午前一〇時三〇分ころ、橋本の住居である東海荘三〇一号室に同人の妻らしい女性が入室するのが認められたため、甲野らは橋本が現れる可能性が高まったと考え、甲野、乙川、丁海の三名が東海荘に近づいた。丙沢は、橋本が外部から帰ってきたときにすぐ発見できるよう路上に駐車したレンタカーで張り込みを続け、前記田中は腹具合が悪いとのことで捜査用車両を運転して便所を探しにいった。

3  原告は、東海荘の北方約一〇〇メートルに居住しているものであるが、同日午前一〇時三〇分ころ、岐阜県各務原市鵜沼川崎町の作業現場に行くため、東海荘付近の路上に駐車してあった大型トラックに乗車すべく、自宅を出て東海荘の付近を歩いていた。

甲野らは、こちらへ歩いてくる原告を見て、橋本と年令・身長・がっちりと小太りの体格・額のはげ上がり等が似ていると感じ、橋本が自宅に帰ってきたものと考えた。

甲野は、原告に対して声を掛け、橋本かと尋ねたが、原告はこれを否定した。しかし、甲野らは、橋本が逃亡するため言い逃れをしているのではないかと感じられた。

4  原告は、甲野らとのやりとりの中で、しきりに「警察を呼んでくれ。」と要求した。

また、右の最中に原告の妻元子が現場に来たが、原告はこれに対してもやはり警察を呼んでくれるよう依頼した。

この際の原告の態度が身内に対するもののようであったので、甲野は元子に対して原告の妻であるかを尋ねたが、元子はこれを否定して帰宅し、各務原警察署に対し、「夫がヤクザのような人に車で連れていかれそうなのですぐ来てほしい。」旨の一一〇番通報をした。

四ところで、原告は、請求原因2記載のとおり、甲野らから身体拘束や有形力の行使を受けたと主張し、<証拠>中にはほぼこれに副う供述が存在し、更に<証拠>中にも右主張に副う部分が多数認められる。これに対して、被告は、職務質問の経緯は被告の主張2記載のとおりであると主張し、<証拠>はほぼこれに副うものである。

そこで、これらの各供述の信用性につき検討を加える。

1  <証拠>中の供述の要旨は、①当初原告が橋本であることを否定して立ち去ろうとしたところ、警察官が原告の左右上腕を取った、②甲野らは、原告に対して自動車に乗れと要求し、原告は、これは暴力団員ではないかと考えて、さわたり歯科医院前の植木の前まで行って、植木をつかんでこれに抵抗した、③甲野らは、原告の身体のすぐそばまで自動車を移動させ、後部座席のドアを開き、この中に押し込もうとして原告の両腕等を引っ張ったり、大腿部を蹴ったりした、④原告は、植え込みのブロックにかけ上がりうずくまっていたところ、妻元子が現場に来たので、一一〇番通報を依頼した、⑤原告は、持っていたハンドバッグを知人の佐々木に向かって投げたが、甲野が拾い上げて中身を調べた、というものである。

<証拠>の要旨は、①原告が自宅を出てから一〇分後くらいに、原告らが口論している声を聞き、さわたり歯科医院の前まで行くと、原告が植木を両手でつかんでおり、男が原告の手を握っており、また白色の自動車が傍らにあった、②一一〇番通報をしてから現場に戻ると、原告はコアラのように両手両足で植木を抱えこんでおり、両側から警察官らが原告の手をはずそうと引っ張っていた、またそのとき自動車の後部座席のドアが開いていた、というものであり、<証拠>の要旨は、①佐々木はさわたり歯科医院で治療を受けて外へ出ると、原告を含む男四名がけんかをしているような状況を目撃した、②原告は植木に片手でつかまっており、一名がその手首を引っ張りながら肩を押すようにし、他方の腕を二名が引っ張っていた、③男らは、原告に対し、「乗れ。」「ちょっと来い。」等と述べており、原告の体から二ないし三メートル離れたところに後部座席のドアの開いた白色の自動車があった、④原告は、自分に対して「これ持っとってくれ。」と言ってハンドバッグを投げたが、これは植え込みの中に落ち、自分が拾いに行こうとすると、男が先にこれを拾って中身を調べた、その男は警察官であると名乗り、手帳を示した、というものである。

2  <証拠>の要旨を総合すると、①甲野らは警察官であることを明らかにして職務質問したのに対して、原告は「滋賀県警なんて関係ない。」等と述べて立ち去ろうとした、②警察官が立ちふさがる等をして制止したところ、原告はいきなり道路中央にしゃがみこんだ、③甲野が立ち上がるよう促したところ、原告は自ら立ち上がってさわたり歯科医院の植木をつかんで、座りこむようにした、④甲野は、原告の腕に手を添えて支えるようにはしたが、警察官らにおいて両腕を引っ張ったり、大腿部を蹴ったりした事実はない、⑤そのうち、原告は「そのなかに免許証が入っとるわ、見てみい。」と言ってバッグを投げたので、甲野においてバッグを調べて免許証を確認した、というものである。

3  ここで、各供述者の立場について検討するに、原告はいうまでもなく当事者本人であり、証人伏見元子はその妻である。また、証人甲野及び丁海は、いずれも本件に関与した警察官であり、当事者に準ずる立場にあるということができる。

これらに対して、証人佐々木は、単なる目撃者であって、原告の知人とはいえ、右の証言によれば以前近所に住んでいたことから面識がある程度との親しさに過ぎず、しかも警察関係に対し特に遺恨を抱いているというような事情を見出すことができない以上、最も中立的な立場にある者と考えられ、その供述内容には高い信用性があると推認すべきである。

更に、証人甲野及び同丁海の供述するところによる原告の態度は、警察官から職務質問を受ける者のそれとしては全く不可解という外はないのであるが、<証拠>によれば、原告は前科もなく、本件以外に警察に関わりを持ったこともないと認められ、これによれば特に警察官から逃げ隠れしなければならない事情も窺われず、また、当公判廷における原告の供述態度にも特に不自然な点が窺われない以上、これら警察官らの供述は信用することができないというべきである。

そして、原告や原告の妻の供述内容は、証人佐々木の供述内容と概ね一致し、しかも、原告があえて「警察を呼んでくれ。」と妻等に対して依頼したことや大の大人が植木にしがみついて抵抗をしたことも無理なく説明できるということができるのに対し、証人甲野や同丁海の供述から右事実を説明することは困難であるといわざるをえない。

被告は、原告、原告の妻及び佐々木の証言の間には微妙な食い違いがあり、更に当法廷における供述と前記特別公務員職権濫用罪等にかかる捜査における段階での供述との間にも差異があることをとらえて、これらの供述には信用性がない、と主張するようであるが、当法廷での供述は本件が起きてからいずれも二年以上たってからなされたものであって、その間に各人の記憶が少しずつ変容することは止むを得ないことであり、細部において供述に差異があるからといって、これらの供述が全て信用性がないということはできない。むしろ、証人甲野や同丁海の供述は、同様の時間の経過にもかかわらず、ごく微細な点にいたるまで一致しており、これは各供述が当人の記憶以外のものに基づいているのではないかとも疑わせる事情となる。

そして、これらの証拠関係を総合すると、少なくとも、原告がさわたり歯科医院の植木をつかんだ後に、警察官らが原告の近くに自動車を移動させ、これに乗せるべく、左右から腕ないし手を引っ張るという有形力の行使をしたことは、優に認めることができる。

五以上の事実関係を前提に、被告の責任を検討する。

警察官は、警察官職務執行法に基づき職務質問をなす権限を有しており、その際には停止行為や任意同行を求める行為として社会的に相当な範囲での有形力の行使が許容されることはいうまでもない。しかしながら、右の有形力の行使は強制にわたらないことが必要なのであって、本件の場合は、原告が植木をつかんで抵抗するのに対して左右からこれを引っ張って車に乗せようとしたというのであり、強制にわたることは明らかであるから、職務質問の範囲を逸脱し、その違法性を阻却されることはない。

また、甲野らは当時橋本に対する逮捕状を所持しており、原告のことを橋本と誤信していたふしが窺われるから、橋本に対して令状を示し、又は、令状が発布されていることを告げたうえ、逮捕行為として前述のような有形力を行使したのであれば、腕等を引っ張る行為は逮捕の際の有形力の行使としては相当であると認められるのであるが、甲野らは原告に対し令状を示し、又は、令状が発布されていることを告げた形跡はなく、また、逮捕に着手するためには、原告が人違いを主張しており、そのことは甲野らも認識していたのであるから、橋本と面識のある丙沢や近隣の住民に本人か否かを確認させる義務があるところ、甲野らは右義務を怠って単に写真等による知識から原告を橋本と誤信したと推認すべきであるから、少なくとも過失の責任は免れない。

以上によれば、いずれにしても、甲野らは警察官として違法に公権力を行使したというべきであり、被告は国家賠償法に基づき、原告に生じた損害を賠償すべきである。

六<証拠>によれば、原告は甲野らの行為により、右肩関節周囲炎に罹患したものと認めることができる。原告は、さらに右傷害の全治には約一か月を要し、五日間ほど休業を余儀なくされたと主張し、<証拠>には右に副う部分もあるが、<証拠>によれば、原告は、本件事故当日である昭和六二年五月一六日医師の診断を受けたが、特に他覚的所見はなく、同月二一日医師から湿布薬と鎮痛消炎の内服薬の投与を受けたにすぎないことからすると、右傷害と休業の因果関係やその治療期間一ヵ月であることまで認めることはできない。

しかしながら、右傷害自体や、前記認定にかかる本件の事実経過、ことに公衆の面前で手荒な扱いを受けたこと(証人佐々木の証言によれば、佐々木は警察手帳を見せられた後も、警察官がこんな乱暴をするはずがないと考え、佐々木らが警察官であるとは信用することができなかったとのことであり、これによると甲野らの行為は相当に手荒であったことが推認できる。)等により原告が精神的に苦痛を被ったことは十分推測することができ、前記認定にかかる事情を総合すると、これを慰謝するには金三〇万円をもって相当と認める。

また、原告が、本件訴訟の提起遂行を弁護士である原告訴訟代理人に委任し、報酬を支払う約定をしたことは、弁論の全趣旨に照らして明らかであるが、右弁護士費用のうち本件と因果関係のある損害としては、右の慰謝料額その他本件に関する全事情を総合すると金五万円をもって相当と認める。

七以上の次第で、原告の請求は、前項の損害の合計である金三五万円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六二年五月一六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の賠償を求める範囲で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川端浩 裁判官伊藤茂夫 裁判官坪井祐子は、差し支えにつき署名押印することができない。裁判長裁判官川端浩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例